不道徳かつ地獄的なパラノイア

自称作家が何の根拠もない嘘八百を語るブログ

全ての事象には真実などない。あるのは解釈だけだ。

人は、上に立ちたいものだ。

 

空を見上げればそこを目指し、そして空から地上を眺め、想う。

 

私は今、全てを見下ろしている。

 

嗚呼、美しい光景だ。

 

普段はあんなに灰色に見えていた世界は、こんなに色とりどりなものだったんだ。

 

こんな美しい世界に産まれ落ちた私は、幸福だ。

 

そんな光景に魅せられている中、突如湧く疑問。

 

じゃあ、それを見ている自分はどうなんだ?

 

宙に浮いて、外から中を眺めている僕という存在は、もう灰色じゃないんだろうか。

 

 

 

 

 

優位性とは、ある気付きによって生まれるものだ。

 

 

 

 

 

今この瞬間を生きることに躍起になっているのは、人生が美しいものであるということの証明である。

 

ギリシャの無名な哲学者が言った言葉

 

 

 

 

 

 

ではなく、私が今作ったのだ。

 

そう、私だ。

 

 

 

それにしても、今この瞬間を生きるということはとても難しく感じる。

 

それは歳をとり、身体が大人に近づくほどひしひしと感じるのだ。

 

よくある例だが、小学校の時分であれば20分休みに外にツーバンをしに行くという、今では考えられないような時間の使い方をしている。

 

今の自分であれば、そんなのは鼻で笑い捨てて

 

「いやいや、そんなことに興じているようではまだまだベイブ(おこちゃま)だ。なんのための休憩時間だと思っている?読んで字の如く休憩だ。休息を取ることが仕事なのだ。」

 

と口を開けてぽかんとしている小学生相手に、大人気なく言い放つだろう。

 

だが、その頃はその20分間に全力を注いでいたのではないか、と渋谷のエクセルシオールのココア(超美味い)を飲みながらふと考えてしまうのだ。

 

何事も考え方次第。

 

多面的な角度から一つ物事を見なければそのものの価値は見いだせず、また、ロジカルに物事を考えることはできない。

 

長々とした前置きであったが、ここからが本題だ。一つ疑問を置いてみようと思う。

 

【大学における優位性とは何か。】

 

モラトリアムな空間である大学において、何が人を順位付けするのかという問題である。

 

金?

 

権力?

 

はたまた精力?

 

デカチンが一番偉い?

 

 

答えは、ノーだ。

 

 

 

 

大学で一番偉いのは、一番後ろの席を取った人間である。

 

 

何を言っているんだ、と思う読者もいようが事実そうなのだから仕方がない。

 

一番後ろの席。それは光り輝く宝石に負けずとも劣らない大学生が追い求めるロマンである。

 

世はまさに大学生時代なのだ。

 

何処を見渡しても大学生大学生大学生。

 

事件を起こすのも大学生だし、地域ボランティアに出ているのも大学生。カフェに行けば大学生がたむろし、コンビニに行けば大学生は働いている。レースのカーテンを買いに行こうと街を歩けば、フランスパンの入った紙袋を下げた大学生とすれ違う。世界は、大学生でまわっている。

 

 

恐らく見立てでは地球上の全人口80%は、大学生だろう。

 

いや、少し話が逸れた。

 

 

 

兎に角、そんな後ろの席を取ろうと、全ての大学生は躍起になるのである。

 

 

百鬼夜行のごとき群れをなす大学生はまとまって動く。そしてその圧倒的な物量を持って様々な講義の対策をとるのだ。だが僕はその恐るべきネットワークはあいにく持ち合わせていない。

 

つまり単体での戦闘ということになる。孤軍奮闘。私は戦場をかける1人の戦士だ。

 

クラウドと化した大学生の集団によるスピーディな席の取り方には目をみはるものがあるが、それはあくまで全員の利害が一致した場合でしかない。

 

一人でも座れない状況に陥れば軍は総崩れ、教室からの撤退を余儀なくされる。

 

だが、単身乗り込んだ私は違う。どんな席にでも座れる。

 

いい席が一つだけ空いていればズカズカ歩いて行って、そこに気兼ねなく座れるのだ。

 

そして、蛇のような狡猾さと蜂のようなドライブ感。私はそれを武器に、辛く厳しい大学生時代を生きていくのだ。

 

「いい席が欲しいか...。欲しけりゃくれてやる...。探せェ!!!この世の全てをそこに置いてきた!!!」

 

大学生王、金子魯迅(かねころじん)は卒業の間際、そう言い残したという。

 

そうして、大学生時代は幕を開けた。

 

先人から受け継がれし技術を磨き、一番後ろの席を確保することだけに命を懸ける。

 

 

 

一番後ろの席など取るに足らないことに全力を使うのは、はるか昔のサッカーボールを蹴り上げたあの空を思い出させてくれた。