不道徳かつ地獄的なパラノイア

自称作家が何の根拠もない嘘八百を語るブログ

女子力マシマシ、ネギ抜き

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↑広告バナーではない。

 

宇宙誕生以降数々の生物が生まれ死んでいったが、そんな何千年もの長い歴史の中でも生まれ落ちたすぐ風俗に向かう雄性っぷりを見せたのは私だけではないだろうか。

 

世界の恋人Tomyこと登美ケ丘 依介。

 

そう、私だ。

 

この間、表参道のスターバッキスカフェで優雅にモカフラッペを嗜んでいた時に、斜め前に座っていた表参道系OL(推定26-29)の方が

 

「料理作るとか部屋綺麗に掃除できるとか、そういう基準で女子力って測れないと思う。」

 

 

 

と、コップの底の方に溜まったチョコチップを弄り倒しながら言っていた

 

 

なるほど、興味深い。

 

私はすぐに席を立つと、モカフラッペが入っていた白い陶器のカップをゴミ箱に捨てて店を出た。

 

表参道は、小雨の夜が美しい。

 

美しい場所で、どうしようもなく生産性のないことを思案する贅沢は筆舌に尽くしがたい。

 

 

 

そもそも女子力(Women's power)とはなんぞやという話だ。大学でもよく耳にするし、SNS上では言わずもがな。

 

2009年に流行語大賞も受賞した勢いのいい元気のある言葉らしい。

 

そして広義の意味として『輝いた生き方をしている女子が持つ力』という言葉であるとされる。

 

 

それが週刊誌などメディアを通して歪曲もしながら最終的に「男性の視点からたった理想の女子像」のような表現に変わっていった。

 

女子力を知るとOL氏の言うこともよくわかる。

 

確かに最近女子力という言葉が軽々しく使われているような気がする。

 

サラダを取り分けただけで女子力が上がるものなのか、使いづらそうなビンに入ったジュースを飲むだけで女子力が上がるものなのか、ハンカチが花柄でKAWAIIからといって女子力が上がってたまるものか。

 

怒りがこみ上げる。

 

大体、アサイーボウルってなんなんだ。

 

女子力を極限に向上させる代わりに使用者のゴニョゴニョが大変なことになるのか?

 

 

 

部屋に観葉植物を置いたとて得られるのは女子力ではなくマイナスイオンなのである。

 

 

 

思い出して欲しい。

 

名作『ドラゴンボール』の悟空でさえ血の滲むような修行を重ねて戦闘力をあげたじゃあないかと。

 

孫悟空という日本を代表するキャラクターから学び自分を重ねてみようと。

 

女子力をあげたいなら中国四川省の霧が深く立ち込める山々の一番高所に存在していると言い伝えのあるどんな怪我でもたちどころに直してしまう仙人の元へ弟子入りし、一千年もの間修行をすることによって初めて女子力の境地、明鏡止水へとたどり着けるのではないだろうか。

 

というのは冗談だが

 

輝かしく生きているのは、生きとし生けるもの皆往々にそう言えるのである。

 

皆素晴らしく命を燃やし生きている。

 

つまり

 

 

 

女子力というのはみんなの心の中に咲いていっぞ!

 

 

という孫悟空の台詞を、今記事の締めに使わせていただく。

青春の吹き溜まり〜おっぱいのペラペラソース和え〜

地球は青かった

 

 

そう呟いたアームストロング船長は一体どんな心境だったのだろう。

 

 

 

人は皆空を見上げる。

 

 

 

おかしな話である。

 

母なる海は、用無しかと。

 

我々は空に憧れを抱く生き物だ。神話における蝋の翼で太陽を目指したイカロスもまたその一人である。

 

ライト兄弟は様々な人間に後ろ指を指され笑われながらもライトフライヤーを完成させ初の有人飛行に成功した。

 

繰り返すが、人は空に憧れを抱くのである。

 

 

それならば、空を目指し、空にたどり着いた時、人は何を目指すのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方その頃現代の...日本...の東京...の世田谷区に住むしがない自称作家の私は、おっぱいが好きである。

 

そうかネタ切れで早々に下ネタを使い出したのか、と思った読者各位。

 

そういうわけではないのだ。

 

否。

 

第三回というスタートダッシュだからこそ主張したいのだ。私はおっぱいが好きであると。古人が春夏秋冬という日本の美しい四季を愛したように僕はおっぱいを愛している

 

おっきいおっきいXLサイズの規格外のでかパイからちっちゃなちっちゃな花の蕾のようなちっぱいまで全て守備範囲だ。

 

 

古今東西女性の数だけおっぱいがあり、学説ではその微妙な差異だけでも1万通り以上あるという。

 

即ち、どのおっぱいが好きか挙げれば、それはもう枚挙にいとまがないという事だ。

 

そう、恥ずかしげもなく告白する。

 

私はおっぱい星人だ。

 

創作活動としておっぱいを見倒した後、プライベートでおっぱいを見ることになんの苦痛も感じない

 

昼も夜も、おっぱい

 

素晴らしい響きだ。我ながら感服する。

 

 

 

 

 

 

 

そもそもおっぱいとはなんだろう。

 

 

そんな宇宙的な、古来より様々な科学者哲学者たちが議論してきた話題に首を突っ込もうというのだから襟を正して考察せねばなるまい...。

 

私は試しに、『おっぱい』とGoogleで検索をかけた。

 

 

 

おお。

 

なんということだ。これは神のいたずらか。

 

私はおっぱいについてのWikipediaを中心に各界の碩学や著名人たち、おっぱいに情熱を捧げた先人の研究論文や考察サイトなどが出てくると予想していた。

 

しかし、現実は甘くなかった。

 

眼前に広がるはおびただしい量のエロサイトであった。

 

おっぱい画像、おっぱいさん、おっぱいゆさゆさ、フェチなおっぱい集めてます、どこでもおっぱい、OPPAI、おっぱい命おっぱいおっぱいおっぱいおっぱいkfくぉうぇうlslqwjw

 

時が、止まったかのような感覚。

 

私は、一体何をしているんだ

 

こんな高度情報社会において、エロサイトのみ反映されると言葉など、それほどの言語価値でしかないということではないか。

 

まさか。

 

私の信じていたおっぱいという単語。

 

数多ある日本語で一番古く、そして一番研究されているこのおっぱいという言葉にはそこまでの低俗性しかないというのか。

 

それともGoogleの陰謀か。おっぱいはGoogleスケープゴートに成り下がってしまったのか。

 

いいやそんなことはない。

 

 

 

私の信じていたおっぱいはそんなものではないはずだ。

 

 

 

私はうろたえながら、おっぱいの検索関連に手を伸ばした。

 

 

驚愕。唖然。

 

開いた口が開いたまま。

 

私の目の前に現れたその神の啓示とも思しき文字の羅列

 

『おっぱい 大きくする方法』

 

なんということだ。

 

世の女性は調べている。

 

おっぱいを大きく知る方法を。

 

私は世の女性の全てにこの言葉を捧げる。

 

 

 

 

『やってやれないことはない』

あの暑い日の追憶。あの子の影を追った僕。

今日もこの時間がやってきました。

 

意味深で文学的なタイトルとともにドーンと長文が載っていますね。実況は私、こと登美ケ丘 依介。解説は私、こと登美ケ丘 依介でお送り致します。よろしくお願いします依介さん。

 

そう、私だ。

 

平成の似非コラムニストとして名高い僕にとって色々な疑問や問題で溢れている世の中は非常に甘美で、蠱惑的だ。

 

今回はその中でも、ままごとについて語ろうと思う。

 

そう、ままごと。

 

ただ何もない空間を、一軒家若しくはアパートと見立ててその中で巻き起こる家庭のありとあらゆることをシミュレートし将来に備えるあの高尚かつ生産性のある遊びである。

 

古くは古代ローマ時代から「ママゴッド(MAMAGOD)」として、神々を奉る際に行われた神前儀式の一つだとも言われている。

 

クフ王のピラミッド、隠された石室にはママゴッドの秘密が隠されているらしいが、今回のテーマはあくまでままごと。1,000年以上前の隠された真実など、丸めてポイしてしまおう。

 

目をつぶれば嗚呼過去の思い出が蘇る。

 

淑女の読者であれば、公園のお砂場近くを陣取ってそこをシルバニアファミリーよろしく赤い屋根の小さなお家に見立てて仮想家庭を築き色々なことに一喜一憂したことだろう。

 

だがしかし。

 

実際はどうであっただろうか。

 

 

「専業主婦をしながら趣味にも手を出し、上司に怒鳴られ帰ってくる夫の為に晩御飯を作り3人の鼻垂れ小僧を育てる毎日」

 

.....。

 

何時の時代だと。

 

もう女性は社会進出を果たし一つの性として世の中に大きく羽ばたく昨今でそんな家庭はあり得るのかと。

 

夕方帰るときにカレーの匂いがしたあの時代はもう帰ってこないのである。

 

だからこそ私は今の子供達に言いたい。「もうそういった家庭を築き三十年のローンを組んでマイホームゴルフコンペ飲み会での一発芸に全てを賭ける時代は終わったんだ。これからのままごとは時代の変遷とともに変わるべきなんやで」と。

 

子供達は

 

「おじさん何言ってるのかわからないから嫌い」

 

そう言ってくるだろう、だが構わないのだ。子供達はそうして成長するし、日本の将来を憂うなら子供達に現実を見せる必要があるのではないか。

 

「夫は年収300万。子供は1人。私は某大手企業のキャリアウーマンとして働いている。年収800万である。夫は日頃から私に申し訳なさそうな顔をしていて、家事も進んでやってくれる。いい夫を持ったと感じる」

 

こういったシナリオにして「現代ままごとマニュアル」と命名しよう。

 

そして全国の子供達、主にままごとをするであろう幼少期時代に保育園や幼稚園で「現代ままごとマニュアル」を設置して読むように聞かせて欲しいと思うのであった。

 

 

今なにしてる?その問いかけに私は口を噤む。

まずは自己紹介をしようと思う。

 

私の名前は、登美ケ丘 依介

 

職業は自称作家だ。

 

自称作家など、全人類、いや、地球上に住まう生きとし生けるものの中でもワースト3に入るレベルの生命体だ。

 

事の始まりは、21世紀最初の夜に枕元に立った小説の神様から「作家って言ってると、フリーターでも気持ち楽だよ。」というありがたいご神託を賜った事だった。その時から私は、作家を自称している。

 

休日は、家でステップダンスの練習をする夢を見ながらひたすらヨダレを垂らす都内随一の枕汚しとしてその界隈では有名である。

 

元々、Facebookで気が向いた時に日常考察コラムを綴っていたが、隅田川花火大会の晩にこれまた枕元に立っ隅田川花火大会の神様から「ブログやってるって、話題に事欠かないよ?」とありがたいご神託を賜り、ブログへと移行した。

 

よって、しばらくFacebookに書いていたことをブログ用に推敲し直した選りすぐりの記事をお届けしようと思う。

 

だが、その前に一つ。

 

此処まで読んだ勘のいい読者各位には既に理解されているだろうが、私は精神のどっかしらが大事故を起こしている。枕元に2度も神様が立つことなど本来ありえないが、僕はその神託を信じている。

 

恐らく、今精神病院にヘコヘコ行ったら厳重に隔離された後、週3日の食事だけ与えられて社会からじんわり消えるのを待たれる。

 

だが私はそんな圧力には屈しない。週3回の食事で痩せた体に鞭打って鍛えるだろう。そして私は私を押さえつける圧力を叩きのめすのだ。そしてなんやかんやで宇宙帝王になり股のゆるい女をはべらすのであった。

 

漫画家さん是非漫画化してください。連絡待ってますよ。

 

それよりも。

 

Facebookである。Twitterである。

 

どちらもやっている私は社会に対する不満や純度の高いネガティブ成分を吐き出すべくSNSを活用している。それがストレスの捌け口になり、かつ不愉快な人間に攻撃することができる合理性を持ち合わせるからだ。

 

社会に適合出来ない私がソーシャルでネットワークなサービスであるSNSを使っているというジョークは、丸めてポイしてもらって構わない。

 

そういうわけで、呟く。今日も呟いたし明日も呟くだろう。明後日は未定だ。毎日毎日そう面白いことが起きるわけではないし、毎日毎日喜怒哀楽がバグったりする事もないからだ。

 

 

 

しかし、しかしだ。呟くたび、すごく不可解だなと感じる事がある。

 

「今なにしてる?」

 

ってなんだ?

 

と。

 

「今なにしてる?」は読者もご存知の通りSNSでおなじみの文句だ。文字を入力する前に現れるアレである。

 

私はアレの魔力を感じ取ることがなんとかできた幸運な男の一人だ。

 

「今なにしてる?」を見るたび

 

「私は今、何をしているんだろう」

 

と、今日見たドラスティックすぎるファッションをこき下ろそうとした指が止まった。

 

今なにしてる?という問いかけに正直に答えるなら

 

「私はiPhoneを触っている」

 

だ。SNSを開いているということはつまりそういうことだからである。

 

でもそれが答えになっていないということはわかってる。問題の揚げ足をとったただの屁理屈だ。そこまで私も野暮じゃない。だからこうやって疑問を文章にしているわけだし。

 

ただ、今というのはいつなんだろうと思うのだ。

 

「今なにしてる?」と言われている間にも「今」は刻々と変わっていく。そしてその今は過去になり膨大な過去の中の一欠片として機能を終えていくわけだが、果たして私はこの瞬間に何をしているんだろう。

 

あれ?

 

僕は、一瞬一瞬を大事に生きているか?

 

拍手。

 

スタンディングオベーション

 

「今なにしてる?」とは

 

スピードが重視されすぎたあまり1秒が軽んじられたこの冷え切った現代社会に対する問題定義だったのだ。

 

この一瞬をどう生きるかという当たり前に見えて誰にも答えられないこの究極の問題を叩きつけたのだ。

 

我々は一瞬一瞬を輝きながら、煌きながら生きているのか?

 

ボーッとしている暇はあるのか?何か自分出来ることはないのか?

 

号泣

 

嗚咽

 

この意味を知ったものだけに訪れる暖かい涙が訪れる。

 

そんなにも短い言葉に感情を動かされてしまうことがかつてあっただろうか。

 

「今なにしてる?」

 

私は、これから自信を持って答える。

 

「今を、しているよ」

 

と.....。