不道徳かつ地獄的なパラノイア

自称作家が何の根拠もない嘘八百を語るブログ

こういうオチのある話をしようじゃないか。

『大変なことが起きた。』

興味のない広告、内容のないゴシップに15分も考察の時間をとる昼下がりの情報番組。

普段見もしないだろうに、映画の番宣だけで呼ばれた俳優がワイプでしたり顔をしていた。

私はこういう関西っぽいどうでもいい番組とそれを見ている時の空気は好きだ。だが、同時に虚しくもなる。

 

夕方になると、先程までとは打って変わって、今日起きた事件のことについて色々事細かな情報が流れ始める。

 

昼間はあんなに平和そうだったのに、夕方になったらだいたい人が死んでいる。そういう些細なことに虚しさを感じたりする。

そんな徒然を思い描いている時、事件は起きた。

 

テレビから、小気味の良い音楽とともにこんな広告が流れたからだ。

 

月見バーガー!食べたらきっと秋が来る!』

 

その刹那。

 

雷に打たれたような衝撃

 

膝から崩れ落ちそうになる圧倒的敗北感

 

やられた。

 

私はまたしてやられたのだ。

 

いつの間にか、『大変なことが起きた。』

 

いや、もっといえば、秋に乗り遅れた。

 

以前、夏が来ていたことに気づかないといったが...。

 

いや、いったよ?いったけどさ。

 

すでに秋は私の前を過ぎ去って、遠い存在になったんだ。

 

月見バーガー』とやらを食わないと、秋についていくことができないんだ!!

 

あぁ、はフォーシーズンに嫌われているのか

 

私が何をしたっていうんだ。

 

どうすれば、月見バーガーを手に入れることが出来るんだ。うぉぉ、早く俺に月見バーガーをくれ!!食わせてくれ!!!

 

でも大量に食べるのは厳禁だ。

 

『食べたらきっと、飽きがくる。』

 

お後がよろしいようで。

恥を笑い、怒りに溺れろ。

思えば、恥の多い人生だった。

 

不道徳で、恥知らずなのは子供の頃からである。

 

小学校に上がりたての頃、ハサミを持ち出して相手の傘を切り刻んでやろうとしたことがあった。

 

なんでそんなことをしようとしたのかは覚えていない。だが、複雑に絡み合った感情の奥底にあったものは「怒り」だったということだけは覚えている。

 

私は、その相手に対して純粋に「怒り」を覚えていた。

 

怒りは負の感情なのは書かずともいいことだが、この感情は中々コントロールが難しい。

 

怒りは生物にとって本質的生物的、短絡的な感情だからだ。

 

 

そしてなんやかんやで時が流れ、私は小学校6年生になっていた。

 

小6にもなると、周りの少年少女達は大人びて身体も成熟していったが、身体がデカくなっても私は相変わらずガキのままだった。

 

 

 

あれは運動会猛暑日に開催され、昼時には30度を超えていた。

 

 

 

私は、酷暑などもろともせんという勢いで、引かれ直されたばかりの白線が眩しい校庭に立っていた。

 

 

 

その装いは....まるで精神異常者だった。

 

 

おそらく、保護者各位や下級生は私の姿に唖然としただろう。

 

 

和気藹々とした運動会の最中、突如現れた私は指定の体操服に黒いポリ袋をマントに見立て、ダースベーダーの仮面を被りドゥークー伯爵のライトセイバーを固く握り

 

『はっはっは!!!』

 

本家ダークサイド顔負けのロートーンボイスで笑っていたからだ。

 

 

 

その笑い声は、遠くの空へと吸い込まれていった。

 

 

その時の観衆は、まるで平和な街に巨大爆弾が一発投下されたときのような空気を出していたのだった。

 

 

そして消える笑い声と訪れる静寂。

 

 

愉快だった。人生でも1、2を争う愉快さだった。

 

 

今、誰もが私を見て恐怖している。

 

絶望こそ、我が快楽なのだ

 

 

彼のダースベーダーがそうであったように。

 

 

僕は、一心不乱にライトセイバーを振り回した

 

ブンブンブンブンブンブンブンブン振り回した。

 

それはもうメチャクチャになるまで振り回した。

 

正直、死ぬほど暑かったから止めようか迷ったがそれでも振り続けた。

 

その場にいる全員に対して親の仇と言わんばかりに振って振って振りまくる

 

 

小学生が扱うには少し大きいライトセイバーからは振るたびに『ヴィン』だとか『ヴォン』だとか鳴り続けている。

 

恐れはダークサイドに通じる。恐れは怒りに、怒りは憎しみに、憎しみは苦痛へ。

 

 

そんな言葉が、頭の中を駆け巡る。

 

そうだ、俺は不道徳で恥知らず。

 

全てを必要以上に憎み、否応無く怒る

 

俺は、生まれついての暗黒面(ダークサイド)だ。

 

技術で築いた恐怖を過信するな。

 

 

何?

 

 

何だこの感情は。

 

 

....。

 

 

俺は...一体誰なんだ...???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後の顛末。

 

 

運動会でアホほど暴れ抜いて死ぬほど汗をかいた私は、最高級の熱中症になり文字通り死にかけ一週間入院しました。

 

個人としての領土は、限りなく不可侵化する

『僕の全てを君に捧げよう。』

 
暗い部屋に一筋の光が伸び、その光がスクリーンに当たると、映像が映し出される。
 
考えてみればすごく不思議なことだと思う。何故光が当たると、映像が流れるのだろう。
 
子供の頃、映画館のスクリーンに向かって伸びる光に向かって手を伸ばした事がある。
 
伸ばした手が届くことはなかったが、それでも手を伸ばして触れようとしていた。
 
『えぇ私もあなたに全てを捧げるわ...』
 
もしかしたら、僕はあの光に触れればスクリーンの中に飛んでいって、劇中の愛を囁き合うカップルに会うことができると思ったからかもしれない。
 
 
 
 
最近アホなカップルが増えた。年齢は関係ない。老若男女問わず、アホだ。
 
 
 
所構わずちゅっこらちゅっこらイチャこいて、薄暗くなった井の頭公園の片隅でごにょごにょに興じる。
 
 
 
恥はないのか?
 
親の顔は浮かばないのか?
 
 
1000年前の先祖の霊を背後に感じないのか?
 
 
恐らく外を歩けばゴミ箱よりイチャップルを見る機会の方が多いだろう。
 
多少なりとも嫉妬が入っていることは認めるが、それにしてもアホである。
 
アホといっても種類はある。
 
 
代表的な例として、愛すべきアホ、と言う表現をよくみるがそれはあくまでも憎めない人間を指して使われるものであって、決してアホだからのべつまくなし愛せるのではない。
 
 
 
この記事で言うところのアホは、決して愛せないアホだ。
 
 
ヒロイズムを撒き散らすカップルはタチが悪い。
 
 
こんなことがあった。
 
 
 
朝の電車。通勤ラッシュの時間帯は皆一様に気が立っている。これから向かう仕事への憂鬱と真夏の湿気で電車の不快指数は、ぐんぐん上がっている。
 
そんな中、電車に乗り込むと窮屈な車内であるにもかかわらず涼しげな顔をした女性がいた。
 
都心のラッシュはいるだけでストレスがたまるのに、何故彼女は事もあろうに涼しげな表情で佇んでいるのか。
 
答えは簡単だ。その側には、大きな男が女を守らんと奮闘しているからだ。
 
押しも押されもせぬといった表情で女性を外敵から守る彼は、さながらジョジョの奇妙な冒険のスタンドである。
 
 
 
ドドドドという擬音が相当良く似合う恰幅のいい男性は、下の中くらいの女性をドドドドと守っていた。
 
 
何より特筆すべきはその男性の顔。
 
 
 
 
我、死ヲ以テ君ヲ守ラントス
 
 
 
 
 
 
 
そんな平成の都心を走る電車の中とは思えない、野武士のような顔をして仁王立ちしていた彼をみて読者各位はどう思うだろうか。
 
私は失禁脱糞を繰り返した。
 
 
まだ、平成に野武士が生きていたのだ。
 
 
これを、畏怖と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
 
 
もう、いぶし銀なヒロイズムなど根本から腐り落ちて誰も武士魂を持ち合わせていないと思っていたのに。
 
 
私は確かに、そのヒロイズムに武士を見たのだ。
 
 
 
 
 
なんて言うとでも思ったか。
 
 
 
 
賞味期限の切れたヒロイズムを、目の前でまざまざ見せつけるのはやめていただきたいものだ。
 
 
 
 
 

風に吹かれ、揺れる茶髪の香りを深く深く嗅いだ。

 

目の前が、茶色い。

ひたすら目の前の景色が茶色いのだ。あと幾何学的なカールもアクセントとして添えられている。

 

何かというと私は帰省のため新幹線に乗り込んでいたのだが、サークルの旅行と思わしき大学生一団と同じ車両に乗り合わせたのだ。

 

一団のちょうど後ろに陣取った私からは茶色い頭が右に左に動く様が見える。

 

彼女らは何が忙しくて左右に激しく頭を振っているのだろう。あれが俗に言うヘドバンというやつだろうか。

 

あぁ。

 

茶髪が。

 

茶髪がたった。

 

あぁぁ。

 

茶髪が座った。

 

茶髪は左右だけでなく上下運動も始めた。

 

勘のいいエロ読者各位へ。上下運動とは、別にそういう意味ではない。

 

いや。

 

私から見えてないだけでもしかしたらそうなのかもしれないがそうとは思いたくないだけなのかもしれない。

 

しかし前の茶髪はよく動く茶髪だ。

 

 

 

ここまで動く理由はなぜだろう。

 

 

 

そうか。

 

わかったぞ。

 

 

この茶髪は空間を支配しようとしているに違いない。

 

 

 

上下左右を様々なパターンから検証し、一番この12号車を効率よく自分の空間として支配出来るかを考えているに違いないのだ。

 

では、このサークルはきっと「帝王学サークル」なる超高学歴インカレ集団なのだ。賢人会議もかくやと思われる始末である。

 

彼女らが名古屋あたりで味噌カツの匂いに誘われて降りていく感じにならないかな。

 

八つ橋求めて私と一緒に京都までランデブーかな。

全ての事象には真実などない。あるのは解釈だけだ。

人は、上に立ちたいものだ。

 

空を見上げればそこを目指し、そして空から地上を眺め、想う。

 

私は今、全てを見下ろしている。

 

嗚呼、美しい光景だ。

 

普段はあんなに灰色に見えていた世界は、こんなに色とりどりなものだったんだ。

 

こんな美しい世界に産まれ落ちた私は、幸福だ。

 

そんな光景に魅せられている中、突如湧く疑問。

 

じゃあ、それを見ている自分はどうなんだ?

 

宙に浮いて、外から中を眺めている僕という存在は、もう灰色じゃないんだろうか。

 

 

 

 

 

優位性とは、ある気付きによって生まれるものだ。

 

 

 

 

 

今この瞬間を生きることに躍起になっているのは、人生が美しいものであるということの証明である。

 

ギリシャの無名な哲学者が言った言葉

 

 

 

 

 

 

ではなく、私が今作ったのだ。

 

そう、私だ。

 

 

 

それにしても、今この瞬間を生きるということはとても難しく感じる。

 

それは歳をとり、身体が大人に近づくほどひしひしと感じるのだ。

 

よくある例だが、小学校の時分であれば20分休みに外にツーバンをしに行くという、今では考えられないような時間の使い方をしている。

 

今の自分であれば、そんなのは鼻で笑い捨てて

 

「いやいや、そんなことに興じているようではまだまだベイブ(おこちゃま)だ。なんのための休憩時間だと思っている?読んで字の如く休憩だ。休息を取ることが仕事なのだ。」

 

と口を開けてぽかんとしている小学生相手に、大人気なく言い放つだろう。

 

だが、その頃はその20分間に全力を注いでいたのではないか、と渋谷のエクセルシオールのココア(超美味い)を飲みながらふと考えてしまうのだ。

 

何事も考え方次第。

 

多面的な角度から一つ物事を見なければそのものの価値は見いだせず、また、ロジカルに物事を考えることはできない。

 

長々とした前置きであったが、ここからが本題だ。一つ疑問を置いてみようと思う。

 

【大学における優位性とは何か。】

 

モラトリアムな空間である大学において、何が人を順位付けするのかという問題である。

 

金?

 

権力?

 

はたまた精力?

 

デカチンが一番偉い?

 

 

答えは、ノーだ。

 

 

 

 

大学で一番偉いのは、一番後ろの席を取った人間である。

 

 

何を言っているんだ、と思う読者もいようが事実そうなのだから仕方がない。

 

一番後ろの席。それは光り輝く宝石に負けずとも劣らない大学生が追い求めるロマンである。

 

世はまさに大学生時代なのだ。

 

何処を見渡しても大学生大学生大学生。

 

事件を起こすのも大学生だし、地域ボランティアに出ているのも大学生。カフェに行けば大学生がたむろし、コンビニに行けば大学生は働いている。レースのカーテンを買いに行こうと街を歩けば、フランスパンの入った紙袋を下げた大学生とすれ違う。世界は、大学生でまわっている。

 

 

恐らく見立てでは地球上の全人口80%は、大学生だろう。

 

いや、少し話が逸れた。

 

 

 

兎に角、そんな後ろの席を取ろうと、全ての大学生は躍起になるのである。

 

 

百鬼夜行のごとき群れをなす大学生はまとまって動く。そしてその圧倒的な物量を持って様々な講義の対策をとるのだ。だが僕はその恐るべきネットワークはあいにく持ち合わせていない。

 

つまり単体での戦闘ということになる。孤軍奮闘。私は戦場をかける1人の戦士だ。

 

クラウドと化した大学生の集団によるスピーディな席の取り方には目をみはるものがあるが、それはあくまで全員の利害が一致した場合でしかない。

 

一人でも座れない状況に陥れば軍は総崩れ、教室からの撤退を余儀なくされる。

 

だが、単身乗り込んだ私は違う。どんな席にでも座れる。

 

いい席が一つだけ空いていればズカズカ歩いて行って、そこに気兼ねなく座れるのだ。

 

そして、蛇のような狡猾さと蜂のようなドライブ感。私はそれを武器に、辛く厳しい大学生時代を生きていくのだ。

 

「いい席が欲しいか...。欲しけりゃくれてやる...。探せェ!!!この世の全てをそこに置いてきた!!!」

 

大学生王、金子魯迅(かねころじん)は卒業の間際、そう言い残したという。

 

そうして、大学生時代は幕を開けた。

 

先人から受け継がれし技術を磨き、一番後ろの席を確保することだけに命を懸ける。

 

 

 

一番後ろの席など取るに足らないことに全力を使うのは、はるか昔のサッカーボールを蹴り上げたあの空を思い出させてくれた。

哲学的ES講座

哲学的ES(entry sheet)の書き方講座。

 

 

 

 

一富士二鷹三私。こと俺。こと私だ。

 

ミッドナイトに、むにゃむにゃ言いながら音速で文字を打ち込んでいるのには、一つ訳がある。

 

 

就活が解禁されて我々の世代の就活が完全にスタートし、周りの人間はやれ合同説明会やらやれ面接やらと東奔西走している。

 

就活は人生の岐路でありここから40年近くの自分の運命を淀みなく決定させてしまう大きな行事である。

 

だからこそ様々な企業を受けて、そこで自分の実力を知りながら自分の価値と企業の価値を見比べ最善の選択をするべきだということを急に思いついたからだ。

 

 

 

 

うん。

 

 

 

だが。

 

しかしである。

 

 

就活について現状一切無知な僕はそんなことを長々と語れるようなバイタリティーは持ち合わせていないのである。

 

最近友人からこんな話を聞いた。

 

「就活って面接だけじゃなくてESっていうのを書くんだよ」

 

ん?

 

ES?

 

エレメンタルシャンプー?

エッセンシャルサプライズ?

エロ小説?

 

いいやそうではないらしい。エントリーシートなるものが就活には必要らしいのだ。

 

エントリーシートというのは言ってみれば選定である。

 

企業にどれだけの私を演出し興味を持たれるかというレースだ。

 

ならば、紙一枚に私という存在を大いにアピり倒して理解してもらう必要がある。

 

これは至難だ。

 

小学生の頃書いた私ノートとはわけが違う。

 

なにせ21年分の人生を込めなくてはならないからだ。

 

というわけで今回は私なりに企業の人間の目に留まりやすい例文を用意した。自由に使ってくれたまえ。

 

就活生の諸君、ファイトだ。

 

 

 

『私の最大の強みは私だということです。何故私なのか。それは私だからです。御社を志望するにあたって私は複数の私と対話し、イノベーションを伸ばすことに成功しました。私はこうして20年という時を経て私の概念を手に入れることができたのです。私の存在に気づいた私は大学時代メキメキとクリエイティブンシティブボーキサイトな私を成長させることができました。私は御社で私自身から繰り出される私をアクティブにバイタリティー高く活用し30年、40年後の私へと昇華させこの企業を私のものにすることができるのです。私は私。それだけです』

女子力マシマシ、ネギ抜き

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↑広告バナーではない。

 

宇宙誕生以降数々の生物が生まれ死んでいったが、そんな何千年もの長い歴史の中でも生まれ落ちたすぐ風俗に向かう雄性っぷりを見せたのは私だけではないだろうか。

 

世界の恋人Tomyこと登美ケ丘 依介。

 

そう、私だ。

 

この間、表参道のスターバッキスカフェで優雅にモカフラッペを嗜んでいた時に、斜め前に座っていた表参道系OL(推定26-29)の方が

 

「料理作るとか部屋綺麗に掃除できるとか、そういう基準で女子力って測れないと思う。」

 

 

 

と、コップの底の方に溜まったチョコチップを弄り倒しながら言っていた

 

 

なるほど、興味深い。

 

私はすぐに席を立つと、モカフラッペが入っていた白い陶器のカップをゴミ箱に捨てて店を出た。

 

表参道は、小雨の夜が美しい。

 

美しい場所で、どうしようもなく生産性のないことを思案する贅沢は筆舌に尽くしがたい。

 

 

 

そもそも女子力(Women's power)とはなんぞやという話だ。大学でもよく耳にするし、SNS上では言わずもがな。

 

2009年に流行語大賞も受賞した勢いのいい元気のある言葉らしい。

 

そして広義の意味として『輝いた生き方をしている女子が持つ力』という言葉であるとされる。

 

 

それが週刊誌などメディアを通して歪曲もしながら最終的に「男性の視点からたった理想の女子像」のような表現に変わっていった。

 

女子力を知るとOL氏の言うこともよくわかる。

 

確かに最近女子力という言葉が軽々しく使われているような気がする。

 

サラダを取り分けただけで女子力が上がるものなのか、使いづらそうなビンに入ったジュースを飲むだけで女子力が上がるものなのか、ハンカチが花柄でKAWAIIからといって女子力が上がってたまるものか。

 

怒りがこみ上げる。

 

大体、アサイーボウルってなんなんだ。

 

女子力を極限に向上させる代わりに使用者のゴニョゴニョが大変なことになるのか?

 

 

 

部屋に観葉植物を置いたとて得られるのは女子力ではなくマイナスイオンなのである。

 

 

 

思い出して欲しい。

 

名作『ドラゴンボール』の悟空でさえ血の滲むような修行を重ねて戦闘力をあげたじゃあないかと。

 

孫悟空という日本を代表するキャラクターから学び自分を重ねてみようと。

 

女子力をあげたいなら中国四川省の霧が深く立ち込める山々の一番高所に存在していると言い伝えのあるどんな怪我でもたちどころに直してしまう仙人の元へ弟子入りし、一千年もの間修行をすることによって初めて女子力の境地、明鏡止水へとたどり着けるのではないだろうか。

 

というのは冗談だが

 

輝かしく生きているのは、生きとし生けるもの皆往々にそう言えるのである。

 

皆素晴らしく命を燃やし生きている。

 

つまり

 

 

 

女子力というのはみんなの心の中に咲いていっぞ!

 

 

という孫悟空の台詞を、今記事の締めに使わせていただく。